自分の感じたことだけ

いま、この場所で

ギグワークと言う言葉がたくさん出てきます。

はじめに

「ギグワーク」めっちゃ面白そうだなと言う話。

 

ギグワーク それは新しい可能性

今日NewspicksのWeeklyOCHIAIで見た動画に「ギグワーク」についてのものがあった。

GIG(ギグ)の意味

一回一回の契約に基づき行う仕事のこと

つまり、

単発・短期で行う仕事
会社に属さず、自分の好きな時間・空いた時間を使って仕事を請け負い収入を得る新しい働き方のことです。

 https://wpsetup.biz/archives/13548

 

「ギグワーク」という言葉自体動画で初めて聞いた言葉だったが、上記のような意味らしい。要は単発の仕事を受けるということだ。この「ギグワーク」というのがここ最近というか、このコロナの影響でものすごい伸びたようだ。いまではアプリで簡単に、スキマ時間に1時間の単位で申し込めるらしい。その手軽さがうけたのか、いまではアプリによっては100万人を超える登録者がいるらしい。

数あるアプリの中でも、動画内で話題になっていたは「クラウドワークス」と「Timee」だ。両社のサイトを見てみたところ、クラウドワークスはデザインやプログラミングなどフリーランス系が多そうで、Timeeはコンビニの棚卸しなど本当にスキマ時間でできるものが多そうという印象を受けた。サイトの印象もクラウドワークスはスタイリッシュで知的な感じ、Timeeは明るく親しみやすさを重視している様子。

でも両社とも結構通底している思いは同じで「働くことで人生を豊かに」みたいなのがテーマとしてあるらしい。下記が両社の会社概要にあるスローガンだ。

クラウドワークス

“働く”を通して人々に笑顔を

Timee

一人一人の時間を豊かに

 

ただ、もちろん素晴らしいだけではないこともあるだろう。例えば労働者側であれば安く搾取されてしまう問題であったり、労働者に技術が蓄積されていかずキャリアがあがらないという問題、依頼する側であれば成果物がうまく行かなかったときへの不安があるなど。この「ギグワーク」自体新しい言葉であるからまだまだ未整備なところも多い。私自身TVCMで「Timee」を初めてみたときは「1時間でもスキマ時間があったら働かせようとするなんてなんと恐ろしい」と思ったのものだ。

それでも、今回の動画を見て少なくともこの「ギグワーク」には今までの働き方を一変させるだけの可能性があるなと思った。しかもいい方向に。例えば動画内で出た話で、どこかに研修にいくより実際Timeeで働いて見たほうが知見が得られていいんじゃないかとか、色々なところで働けるから大人版キッザニアになれるんじゃないかとか(ちなみに、個人的に印象に残ったのは落合さんがずっと「マックで1時間だけ働いてみたい」と言っていたこと。本当に働いていたら大騒ぎになりそう)。

 

結論

新しいものを人は警戒する。でもそれをどう使うかは結局その人次第なわけで。偏見で決めてしまうより、試しにそれにぶつかってみる人で有りたいと思う。

 

 

今日のひとこと

とりあえずTimeeに登録してみよう。

アウトプット 外から見るか中から見るか

はじめに

outputの違いは何からでてくるのか、という話。

 

大事なのは入れ物か中身か

ぱっと思うのは、はやりinputが大事なのではないかということだ。人間中にあるものしかだせない。ないものはでないのだ。うんこと同じ。だから誰かのoutputが気になったら、そのoutputだけでなくその人のinputが何なのかというところにも注目してみることは大事だろう。

とはいえ、同じinputでも違うoutputが出てくるのが人間の面白いところなわけで。そこはその人の情報の加工の仕方というか、考え方の差なんだろうな。そこはどうやって鍛えていけば、変えていけばいいんだろうか。というか変えられるものなんだろうか。少し考えてみる。

考えの違いというのは簡単にいえば、ものの見方の違いということになるのだろうか。大げさにいえばその人が世界をどうとらえているか?それも知らないとどうしてそのoutputにたどり着いたのかはつかめないのかも。

ではものの見方はどう変えるのか?そこは気合しかないのかしら。いやそんなことはないと思うけど。そう信じたい。

方法としては例えば「自分が物事をどう見ているのか」を知ることだろうか。自分の物の見方の輪郭がとらえられればそれを多少修正することはできるのかもしれない。メタ的視点というやつだ。自分を俯瞰してみてみる。

あとは「なりたい人と同じ目標をもつ」ということだろうか。これは先ほどのメタ視点よりもわかりやすい。その人がどんな目標を持っているか、それを推測してそれと同じものを持って日々行動すれば同じような価値観になる可能性は高い。

この時大事になるのは「できるだけ目標を具体的にする」ことだ。例えば自分が好きな絵かきさんがいたとして、その人と同じような絵が描いてみたいとする。でその人が持っている目標を推測したとき、もしくは幸運にも聞くことができたとしてそれが「かわいい絵を描きたい」だったとする。これでは何の参考にもならない。「かわいい」というのは当然人によって変わってくるし、この場合は「描きたい」ということで、つまりある意味では「まだ描けていない」ともいえる。そうなるとその人が自分の絵をそもそもどう考えているのかという観点も大事になる。あとは、「なぜかわいいにこだわるのか」というのもある。細かいことをいうといろいろ出てくる。

目標を具体的にする方法としては「形として見えるもので共通認識をする」というのがあるだろうか。先ほどの続きで言えば、その絵描きさんが「かわいい」としているもの、SNSの犬とかかもしれない、それを確認することだ。それがわかれば、なるほど、この人はこういうものをかわいいと判断しているのかと認識できる。今回ので言えば「かわいいものを描きたい」が「動画の犬のように癒されるものを描きたい」となる。こうなると結構具体的といえるだろうか。

ただ、形を共有することはつまるところ「同じものをみる」=「inputを同じにする」ということなわけで。つまり振り出しに戻ったわけだ。うーん悩ましい。

 

結論

どっちも大事ってことか。無難な回答がでましたね…。

こういうことに近道はないので両方やりましょう。ということで、今日はこの辺で。

お疲れ様でした。

 

 

今日のひとこと

肉じゃがくいてぇな。

 

横好きサイト分析 -楽天市場ー Part2

初めに

久々に楽天のサイトを見てみる。前回の記事↓

haniwaonfuton.hatenablog.com

 

圧倒的コンテンツ量

前回の分析では色やレイアウトを中心にみていたが、今回は機能的な

TOPの検索バーにある「詳細検索」を押すとPopupで項目が表示される。これはカーソルの移動範囲が狭くてすむし画面遷移もしないので時間短縮という意味では使いやすそう。内容もカテゴリ・商品名・並び替え・配達・価格と商品が決まっている人には非常に絞りやすいものになっている。ただデザイン的には多少ゴリ押しを感じる。

TOPスライダーは一般的な動作のもの。ただ、その下の四角いバナーはちょっと面白い動きをしている。これはどういう意図によるものなのだろうか?気になる。

あとはTOPの左のカテゴリ部分だろうか。さすがに日本最大級のネットショップ楽天だけあってとんでもない量のカテゴリが並んでいる。しかも、上位のカテゴリはその中でも小カテゴリがたくさん並ぶ。分量が多くてページのテキスト量がすごくなりそうだが、商品がほとんど画像でだけ表示されているから、バランス的にはいいのだろう。

さて次に特集ページに入ってみる。ためしに「父の日遅れてごめんねギフト」という特集にしよう(この特集はさすがに商売っ気が強すぎんか?まぁ気になるからクリックしたけども)。

特集では、商品部分の表示がだいぶ変わり宣伝文のようなものが太字で表示されている。それに商品の枠も青でくくられている。だいぶ印象が違う。気になってほかの特集ページをみると、驚いたことにすべての特集ページで商品の見え方を変えているようだ。かなり特集ページに労力をかけているのを感じる。おしゃれなファッションの特集ページであればスタイリッシュなデザイン、父の日ギフトであれば送料無料などの実用的な項目を押し出している。特集用のバナーや文言もいちいち考えているようだし、結構楽天は特集に工数をかけているんだなぁ。

さらに「父の日遅れてごめんねギフト」を下にスクロールしていくと、カテゴリで絞る項目、予算やテーマから選ぶ項目がつづき、その下にはなんと「お父さんの年齢」や「お父さんとの関係」という項目まである。ここまで親切にするのかとさすがに驚いた。ちなみにほかの特集でもいろいろなサジェストをページに作成しているようで、さすが楽天、人がたくさんいるのだろう。

確かにこのものもそれを売る店もネット上にあふれていることを考えると、最終的にはこういうホスピタリティというか、「どこまで細かいところにこだわれるか」という勝負になってくるのかなぁ、と感じる。個人的にはそういう細かいところでは戦いたくないのでなにかしらのイノベーションを出すほうになりたいとは思うが。

 

結論

楽天は、おそらく日本一時間と金をかけてできているサイトということだな。

これはなかなか参考にできないかも。というところで、今日はここまで。

お疲れ様でした。

 

 

今日の一言

分析じゃなくて感想では。

 

邪道か王道かよりも、面白いか面白くないかで自分を語れよ!

はじめに

結構エグい作品に興味をひかれるという話。

 

そこまでやるかの気持ちよさ

最近ふと気づいたのだが、私は結構暗い欲望を持っているように思う。

いきなり何を厨二病みたいなことを言っているのかと思われるかもしれない。私もそう思う(暗いを「昏い」とか書いたらそれっぽい)。ただ、実態は別にそんなに大層なことではなく、単純に「明るい話よりも暗い話のほうがなんだかんだ好き」ということである。

もちろん明るい話も好きだ。「ワンピース」に代表されるような「友情・努力・勝利」のジャンプ的な作品であったり、「サマーウォーズ」や「君の名は」のような青春が止まらない系の作品も大好きである。ちなみに余談だが、「君の名は」と「天気の子」を比べると圧倒的に「君の名は」派である(天気の子ファンの人ごめんなさい)。

haniwaonfuton.hatenablog.com

 

だが、自分の中に残っている作品、観ているときに「これだよこれ!」と思うような作品はどちらかというと暗めの作品がある。最近一番印象に残ったのは「バビロン」という作品である。AmazonPrimeから見れるので気になる方はぜひ。だいぶ賛否両論ある作品だが、個人的にはみていて「うおぉぉぉぉぉ!」と一番テンションが上がった作品である。あとは「アカメが斬る」とかもだいぶ印象深い。

そういう作品に共通しているのは、ある種のタブーというか、「王道の作品」だったら絶対にやらないような展開を軽々と踏み越えていく。そこに一種のカタルシスを感じているのかもしれない。「そこまでやっちゃうかー!いいぞ、もっとやれ」感というか。「まさかそうなってしまうわけないよな…うわなったーー!」というか。言うなれば「投げてほしくない、けど本当は投げてほしいところにジャストで投げられた球」である(意味がわからない?私もわからないので大丈夫)。

書いていて思ったが、そういうタブーを踏み越えていくと、結局は王道でない作品=邪道=ちょっと暗い話、冒頭に述べたエグい話になりやすいだけかも。日本の特色だろうか。海外ではどうなのだろう。それはちょっと気になる。まぁなかなか明るい作品でそういう衝撃的な展開を迎えるのは難しいというのはありそう。不可能ではないだろうが(最近触れた「あひるの空」なんかは「明るい」ながらもそういう作品になっている印象)。

 

結論

暗いかどうかというよりは、展開に一線を超えたカタルシスがあるかどうかが私の面白さなのかもしれない。今日はここまで。

お疲れさまでした。

 

 

今日の一言

嘘をかかないって難しい。

Sの日誌

今日は6月22日月曜日。別に特別な日というわけではないが、今日は本当のことを書こうと思う。多分俺は本当は何も考えていなくて。得た知識をそのまま垂れ流しているだけなんだ。もちろんそうでないときもある。でも大半はそうだ。ではなぜそうなるのか?それはきっと自分の意志をもっていないからだ。

 

「自分の意志なんかもってどうする?結局他人が決めるのだから自分で考えても意味なんかない。いつだってそうだった。評価は通信簿で先生がつけたし、テストの順位で将来どこの学校に行くのか決められた。どこの大学にいったかで就職の有利不利も決まった。働いても自分の価値を決めるのは上司だ。この世に自分で決められることなんてない。だから自分の意思なんか持つだけ無駄だ。周りの言っていることに全部したがって生きていく。それで休みの日はだらだらして、自分はなんにもせずにテレビとかで他人の批判をして自分が偉いように感じて。それでまた朝起きたらだるいといいつつ「生活のため」とうそぶいて働きに行く。それで仕事で自分の時間を差し出して対価として雀の涙ほどの給料をもらう。そうやって生きて生きて。年金がもらえるような歳になってふと気づく。自分は何のために生きてきたのか。

そんなのは決まっている他人のためだ。誰かに評価されるためにずっと生きてきた。嫌われないように他人に配慮して生きてきた。やりたくもないことを嫌な顔せずにやり、言われたことには黙って従った。そうやってずっとずっと他人のために生きてきた。立派なもんだろう?なぁ褒めてくれよ。よくやったって。すごいねって。そうやって誰かに認めてくれよ。頼む。」

…なんてうそうそ。そんなことないって。おれは別に見返りをもとめていたわけじゃないんだよ笑。結局は自分のためだって。そう、俺がやりたくてやったわけさ。そのほうが生きやすいから。そうです。全部自分のためなんです。だから怒らないで。褒めてくれなんて言いません。だからどうか怒らないでください。お願いします。許してください。

 

 

また明日からこのよくわからない日々が続く。いつになったらもっとまともに生きられるだろうか。

ずっと逃げ続けてきた人生だった。何をやっても長続きはしなかった。それなりに上手くやったと思いこんで、もう飽きたと言ってやらなくなった。きっとそれは怖かったからだ。本当に打ち込んでしまったら、いつかきっと負ける日が来るから。自分の能力不足だって気づいてしまう日が来るから。そんなのは耐えられない。それよりは飽きてやめたという方が格好がつくでしょう?そうして「もっと夢中になれるものがあればなぁ」といってずっと過ごしている。滑稽なり。滑稽なり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お前は           誰だ

 

「自分の感じたことだけ」はカラオケで発散しよう

はじめに

人の思いを聞くのが好きだけど、たいていの場合は愚痴が出てくることが多いから少し残念という話。

 

冷静と情熱の間

私は人の話、特に何かについて思いのたけを話しているのを聞くのが結構好きだ。例えば「何々がすき」、とか「あの作品がどうだった」とか、そういうたぐいのものだ。これは別にポジティブな内容でなくても構わない。だれだれの愚痴とか、ある作品に対しての批判だったりそういうのでも「この人はこういうことを考えているんだなぁ」というのがわかったりするので案外悪くない。

話の中で大事なのはそこに「思い」と「理性」があるかどうかだ。例えば単純に悪口を言っているのは単純に聞いていて気持ちのいい言葉ではないというのもあるし、「思い」が感じられないというのが一番にあるだろうか。あとは単純に生の感情をぶつけられるのは結構しんどい。

ちなみにここでいう「思い」というのは、「情熱」とでもいうか。対象に対する何かしらの執着であるとか根気であるとかそういうものである。そういうものが感じられると、聞いている方も盛り上がってくる。

対して「理性」というのは、「対象に対する洞察」になるだろう。ただ「好き」や「嫌い」というのではなく、「~~のこの部分が好き。というのも~」というのであったり「ああいうところが~~だから好きになれない」というような、ある程度その思いから距離を話したメタ的な視点というか。そういうものがあると聞いているほうも理解しやすくて「なるほどねぇ」となる。

ただ現実として、思い未満の感想がそのまま話されている。しかも残念なことに悪い方向のことが多い。話し方がうまければいいのだが、単純に思いを吐き出すだけでは場の空気も重くなるし「うーん」という気持ちになる。せめてメタ的な視点をいれて少し加工してもらえれば違ってくるような気はするのだが。

 

結論

だから、私は話すときは、できるだけポジティブな内容で、メタ的な視点をいれていこうと思った。愚痴を話す時だとしても、せめて自分の感情から一歩引いた視点をいれていきたい。このブログもそうなっていければいいと思いながら、今日はこの辺で。

お疲れさまでした。

 

 

今日のひとこと

朝10時までゲームをすると体内時計がいかれます。

高杉晋作の言ったことは真実かもしれない、と思った。

はじめに

 面白いことってなんだろうか。

そんなことを漠然と考えていたときにこんな本を見つけた。

 考えていることのど真ん中のテーマかつAmazonのポイントがいい感じにたまっていたので勢いで買ってみた。今回はこれについて書いてみようと思う。

 

「面白い」ことは「発明」するしかない

先に結論をいうと、「本当の面白さは自分で発明するしかない」ということになるだろうか。昨今Netflixやゲームなどいわゆる面白いものは世の中にあふれかえっている。それこそおそらく一生かかっても見きれない、体験しきれないほどの量があるだろう。しかし(この言い方はあまり好きではないが)最近の若者、とくに社会人になった人は「人生が面白くない」と感じているらしい。かくいう私も、なんとなく「このままの人生だとあんまりおもしろくないかもなぁ」と思っているくちだ。この本はそういう人に対して「そう思うのは、与えられているものの中から面白さを得ようとしているからではないか」とし、「長く面白いことをつづけるには自分で面白いものを発明することだ」と述べている。

なぜ与えられたものより、自分で発明することが面白いのか。まず「与えられた面白さ」は商業のなかで成り立っているものであるから、基本的に浅く広い層を狙ってできている。だから深みがなく、すぐに飽きが来る。今はメジャーというものが成り立たなくなってきているから、いわゆる「とがった作品」が逆に売れることもあるようだが、それでもただ与えられたものをみるだけだと、「発展性」がない、つまり消費するだけで次の「面白さ」につながっていかない。だから長続きしない。

一方「自分で発明する面白さ」はどうか。これは自分で創意工夫するものだから、やっていくなかで、「これはどうだろうか、あんなのもあるな」とやっていくうちに次から次に「面白そうなこと」がでてくる。その新しい「面白そうなこと」をやっていくなかでさらに次の「面白さ」がうまれ…という風につづいていく。これが発明する「面白い」が長続きする理由だ。

ただ、「自分で発明する面白さ」にも欠点がある。それは「大変」ということだ。それはお金ということでも時間ということでもあらゆる面で「与えられたもの」よりもかかる。しかも最初はなかなか自分の満足がいくものができないだろうから意外と面白くない目にあうこともある。それを乗り越えてやっとこの面白さはえられるものなのだ。

ちなみにこの「発明する」という言葉は本からの引用である。著者曰く、「面白さはどこかに落ちているものでもない。だから発見するのではない。また生産するというものでもない。面白さには設計図がないからこうしたらできるというものではないからだ。近い言葉で言えば発明するということになるだろう。面白いものはどこにもないのだ。自分自身で発明するしかない。」これは「面白さ」を探しそうとしてた私的に目から鱗が落ちるというか、ある意味ぶん殴られたような発見であった。この言葉に出会っただけでもこの本を読んだ甲斐はあると思える。

 

終わりに

面白いものはどこにもない。自分で一から作るのだ(ちなみに、著者はインプットも当然大事だとしている。)。まぁストイックになりすぎるとそれはそれで大変なので、自分のできる範囲でやっていきたいと思う。

 

 

今日のひとこと

楽天の分析はまた次回に。