自分の感じたことだけ

いま、この場所で

「自分の感じたことだけ」はカラオケで発散しよう

はじめに

人の思いを聞くのが好きだけど、たいていの場合は愚痴が出てくることが多いから少し残念という話。

 

冷静と情熱の間

私は人の話、特に何かについて思いのたけを話しているのを聞くのが結構好きだ。例えば「何々がすき」、とか「あの作品がどうだった」とか、そういうたぐいのものだ。これは別にポジティブな内容でなくても構わない。だれだれの愚痴とか、ある作品に対しての批判だったりそういうのでも「この人はこういうことを考えているんだなぁ」というのがわかったりするので案外悪くない。

話の中で大事なのはそこに「思い」と「理性」があるかどうかだ。例えば単純に悪口を言っているのは単純に聞いていて気持ちのいい言葉ではないというのもあるし、「思い」が感じられないというのが一番にあるだろうか。あとは単純に生の感情をぶつけられるのは結構しんどい。

ちなみにここでいう「思い」というのは、「情熱」とでもいうか。対象に対する何かしらの執着であるとか根気であるとかそういうものである。そういうものが感じられると、聞いている方も盛り上がってくる。

対して「理性」というのは、「対象に対する洞察」になるだろう。ただ「好き」や「嫌い」というのではなく、「~~のこの部分が好き。というのも~」というのであったり「ああいうところが~~だから好きになれない」というような、ある程度その思いから距離を話したメタ的な視点というか。そういうものがあると聞いているほうも理解しやすくて「なるほどねぇ」となる。

ただ現実として、思い未満の感想がそのまま話されている。しかも残念なことに悪い方向のことが多い。話し方がうまければいいのだが、単純に思いを吐き出すだけでは場の空気も重くなるし「うーん」という気持ちになる。せめてメタ的な視点をいれて少し加工してもらえれば違ってくるような気はするのだが。

 

結論

だから、私は話すときは、できるだけポジティブな内容で、メタ的な視点をいれていこうと思った。愚痴を話す時だとしても、せめて自分の感情から一歩引いた視点をいれていきたい。このブログもそうなっていければいいと思いながら、今日はこの辺で。

お疲れさまでした。

 

 

今日のひとこと

朝10時までゲームをすると体内時計がいかれます。