自分の感じたことだけ

いま、この場所で

高杉晋作の言ったことは真実かもしれない、と思った。

はじめに

 面白いことってなんだろうか。

そんなことを漠然と考えていたときにこんな本を見つけた。

 考えていることのど真ん中のテーマかつAmazonのポイントがいい感じにたまっていたので勢いで買ってみた。今回はこれについて書いてみようと思う。

 

「面白い」ことは「発明」するしかない

先に結論をいうと、「本当の面白さは自分で発明するしかない」ということになるだろうか。昨今Netflixやゲームなどいわゆる面白いものは世の中にあふれかえっている。それこそおそらく一生かかっても見きれない、体験しきれないほどの量があるだろう。しかし(この言い方はあまり好きではないが)最近の若者、とくに社会人になった人は「人生が面白くない」と感じているらしい。かくいう私も、なんとなく「このままの人生だとあんまりおもしろくないかもなぁ」と思っているくちだ。この本はそういう人に対して「そう思うのは、与えられているものの中から面白さを得ようとしているからではないか」とし、「長く面白いことをつづけるには自分で面白いものを発明することだ」と述べている。

なぜ与えられたものより、自分で発明することが面白いのか。まず「与えられた面白さ」は商業のなかで成り立っているものであるから、基本的に浅く広い層を狙ってできている。だから深みがなく、すぐに飽きが来る。今はメジャーというものが成り立たなくなってきているから、いわゆる「とがった作品」が逆に売れることもあるようだが、それでもただ与えられたものをみるだけだと、「発展性」がない、つまり消費するだけで次の「面白さ」につながっていかない。だから長続きしない。

一方「自分で発明する面白さ」はどうか。これは自分で創意工夫するものだから、やっていくなかで、「これはどうだろうか、あんなのもあるな」とやっていくうちに次から次に「面白そうなこと」がでてくる。その新しい「面白そうなこと」をやっていくなかでさらに次の「面白さ」がうまれ…という風につづいていく。これが発明する「面白い」が長続きする理由だ。

ただ、「自分で発明する面白さ」にも欠点がある。それは「大変」ということだ。それはお金ということでも時間ということでもあらゆる面で「与えられたもの」よりもかかる。しかも最初はなかなか自分の満足がいくものができないだろうから意外と面白くない目にあうこともある。それを乗り越えてやっとこの面白さはえられるものなのだ。

ちなみにこの「発明する」という言葉は本からの引用である。著者曰く、「面白さはどこかに落ちているものでもない。だから発見するのではない。また生産するというものでもない。面白さには設計図がないからこうしたらできるというものではないからだ。近い言葉で言えば発明するということになるだろう。面白いものはどこにもないのだ。自分自身で発明するしかない。」これは「面白さ」を探しそうとしてた私的に目から鱗が落ちるというか、ある意味ぶん殴られたような発見であった。この言葉に出会っただけでもこの本を読んだ甲斐はあると思える。

 

終わりに

面白いものはどこにもない。自分で一から作るのだ(ちなみに、著者はインプットも当然大事だとしている。)。まぁストイックになりすぎるとそれはそれで大変なので、自分のできる範囲でやっていきたいと思う。

 

 

今日のひとこと

楽天の分析はまた次回に。