アウトプット 外から見るか中から見るか
はじめに
outputの違いは何からでてくるのか、という話。
大事なのは入れ物か中身か
ぱっと思うのは、はやりinputが大事なのではないかということだ。人間中にあるものしかだせない。ないものはでないのだ。うんこと同じ。だから誰かのoutputが気になったら、そのoutputだけでなくその人のinputが何なのかというところにも注目してみることは大事だろう。
とはいえ、同じinputでも違うoutputが出てくるのが人間の面白いところなわけで。そこはその人の情報の加工の仕方というか、考え方の差なんだろうな。そこはどうやって鍛えていけば、変えていけばいいんだろうか。というか変えられるものなんだろうか。少し考えてみる。
考えの違いというのは簡単にいえば、ものの見方の違いということになるのだろうか。大げさにいえばその人が世界をどうとらえているか?それも知らないとどうしてそのoutputにたどり着いたのかはつかめないのかも。
ではものの見方はどう変えるのか?そこは気合しかないのかしら。いやそんなことはないと思うけど。そう信じたい。
方法としては例えば「自分が物事をどう見ているのか」を知ることだろうか。自分の物の見方の輪郭がとらえられればそれを多少修正することはできるのかもしれない。メタ的視点というやつだ。自分を俯瞰してみてみる。
あとは「なりたい人と同じ目標をもつ」ということだろうか。これは先ほどのメタ視点よりもわかりやすい。その人がどんな目標を持っているか、それを推測してそれと同じものを持って日々行動すれば同じような価値観になる可能性は高い。
この時大事になるのは「できるだけ目標を具体的にする」ことだ。例えば自分が好きな絵かきさんがいたとして、その人と同じような絵が描いてみたいとする。でその人が持っている目標を推測したとき、もしくは幸運にも聞くことができたとしてそれが「かわいい絵を描きたい」だったとする。これでは何の参考にもならない。「かわいい」というのは当然人によって変わってくるし、この場合は「描きたい」ということで、つまりある意味では「まだ描けていない」ともいえる。そうなるとその人が自分の絵をそもそもどう考えているのかという観点も大事になる。あとは、「なぜかわいいにこだわるのか」というのもある。細かいことをいうといろいろ出てくる。
目標を具体的にする方法としては「形として見えるもので共通認識をする」というのがあるだろうか。先ほどの続きで言えば、その絵描きさんが「かわいい」としているもの、SNSの犬とかかもしれない、それを確認することだ。それがわかれば、なるほど、この人はこういうものをかわいいと判断しているのかと認識できる。今回ので言えば「かわいいものを描きたい」が「動画の犬のように癒されるものを描きたい」となる。こうなると結構具体的といえるだろうか。
ただ、形を共有することはつまるところ「同じものをみる」=「inputを同じにする」ということなわけで。つまり振り出しに戻ったわけだ。うーん悩ましい。
結論
どっちも大事ってことか。無難な回答がでましたね…。
こういうことに近道はないので両方やりましょう。ということで、今日はこの辺で。
お疲れ様でした。
今日のひとこと
肉じゃがくいてぇな。