何事にも歴史はある
はじめに
「書きたいことを書けばいい」で書かれていた、「事実の強度が大事」というところを思っていつも途方にくれてしまう。自分はものを知らなすぎる。なにも知らないなぁというふうに文章などを書いていると思ってしまう。
理解の浅さ
浅いところ、見た表層の部分なら当然記憶にはある。でもそれを「知っている」とは言えないような気がする。表面だけでその裏側にあるもの、それを学ぼうとしなければ結局浅いところをぱちゃぱちゃしていることになる。わかりやすいところに目がいってしまう。
ではどうすればいいのか。それは文脈をしること。それが生まれるまでにいったいどういうことがあって、どういう経緯でそれが生まれたのか、なぜそうなっているのか。それを知ることで、作品であったり今の世界で起こっていることもわかるようになるのかもしれない。
そうすれば、自分が課題に思う「物事への浅さ」を少しは解決できるかもしれない。
深い理解とは
では文脈をしるにはどうすればいいのか。それは歴史と同じで「縦」と「横」を調べるということになるだろう。「横」とはその出来事と同じ時間で他のところでは何が起きていたのか、世間はいったいどういう状況だったのか、それを知る。「縦」とはそれの前後にいったい何があったのか、何が起きるのかそれを知る・予測することである。それが範囲が広ければ広いほどその文脈は強固に、つまり事実は面白くなる。
人は歴史に惹かれる
人間はストーリーに惹かれる。ただそこに石があると思えばなにもないが、その石が遠く山の上から流れて、激流で削られながら、気の遠くなるような時間をかけて今そこにあると思えば何かしら感じることがある。そういうふうに文章を書けたらと思う。
今日の一言
まずはそういうふうに自分が生きることですかね。