マタイって真鯛と似ているよね
はじめに
inputを変えない限りoutputは変わらない、と言う話。
求めよさらば与えられん
今までと同じ暮らしをしながら、今までとは劇的に違うものが出てくるというのは虫のいい話で。表現の仕方とか形式とか、そういう表面的な部分はinputが同じでも変えることができるだろう。
でも、根本のところは変わらないと思う。新しいoutputがしたいのであればいままでと違うinputをする。違う道をあるく、違う人と合う、違う仕事をする。そうすると今までとは違った景色が見えてくることがある。
と書いていて、ふと思ったが、私はoutputを変えたいのか?
このブログは毎日浅いところをちゃぷるものだけど、別である程度一つのものに時間をかけて何かを作りたいという思いが最近でている。それは別になんでもいいのだけれど。動画であったりゲームであったり。そういうなにかを作りたい。
そして、このブログを書いていて、自分のoutputが面白くないような気がしている。まぁ以前にも書いたように面白さは作り出せるもの。つまり素材をどう活かすか。料理と同じだね。素材そのままではステーキだってクッキーだってつくれない。なんとかこれを食えないかということで試行錯誤されたのが料理なわけで。
となると、いま自分がやっているのは素材をつんつんしてほじくっているところ。その出てきたものではそこまで面白くない。それを加工して面白くするのが自分の思考力が試されるところなわけだ。
だから今の段階で面白い面白くないを論じる必要はなくて。これらはすべて素材なのだから面白くなる可能性はある。しかも料理と違って素材と完成品の明確な区別がないのだから、完成品をさらに素材として捕らえ直す事もできる。ゲームで一番最初の武器だって鍛えれば最強とまではいわないまでもかなり強い武器になる。まぁそこまでになる効率は多分悪いけどね。
ここで話が飛躍するが、すごいというか恐ろしいことに、「面白いもの」は完成した瞬間に面白くなくなる。だから面白いものを求める旅に終わりはない。
面白いものを求める人生は過酷だ。でもきっと一番面白い。
変え続けること。進み続けること。その中にきっと次の面白いがある。
最初は面白いかどうかは関係ない。まずはありのままを受け止め、試行してみること。そこから「もしかしたら面白くなるかも?」というのが思い描けたらなんとしてもそれに辿り着こうとすること。面白くするにはかなりの苦難が伴う。だけどそれを抜けた先に面白いものはある。そしてもしそれが実現できても、そのうちそれに飽きて次に行くことになる。だとすれば、人生はこんなにも輝いている。
結論
色々書いたが結局は今のoutputが面白くないから変えたいのよね。となると別のinputをする必要がありますな。
さてどうしようか。とりあえずyoutubeで見る動画を変えてみるかねぇ。というところで。
お疲れさまでした。
今日のひとこと
最近仕事で会議が多くてしんどみ。