自分の感じたことだけ

いま、この場所で

ウーパールーパーになりたい

はじめに

自由ってなんだろうという話。

 

子供は金がなく、大人は時間がない

今日は自由に行動できた日だと思う。朝起きて日課をこなし、歯医者にいき買い物をすませて髪を切った。そのあとはアニメを見て今はこうしてブログを書いている。自由を感じた。

ふと自由の意味とはなにかを考える。「自由」は自分が思ったことを他から妨害を受けず思うように実現できることだ。前にも書いたような気がするが「思うように実現できること」が大事だ。

自由の意味が「思うように実現できること」であるならが、まず「思う」ということが先に来なければいけない。「思う」でも「想像する」でも「願い」でも何でもいい。逆に言えば先に自分が思うことがなければ「自由」は得られないということだ。その意味では他人に言われたとおりに生きてきた人間は「自由」ではないとえるだろう。

つまり、自由であるということは自立できていることが前提条件となる。他人の言いなりになっていては自由は得られない。そして実現するためにはある程度の力が必要だ。それは金であるかもしれないし人脈になるかもしれない。それら何かしらの力を使って思ったことを成し遂げ、初めて自由といえる。

この意味で言えば、子供はかなり不自由といえる。大人から見ればしがらみも責任もなくて自由に見えるかもしれないが、彼らには実現する力がほとんどない。ものを買ってもらうにも、どこかに行くにも親の承諾が必要だ。だから「思い」はあったとしても実現する力はない。だから子供は不自由といえる(といっても、子供が願う範囲によって変わるだろうが。その子供の願いがその子供の力の範疇でかなっているのであれば、その子供はまったくもって自由といえる)。

では大人はどうだろうか。もちろん様々な事情があるので一概には言えないが、基本的に力はある。自分で海外旅行だっていけるし自分が食べるものは自分で好きなだけ選べる。一日好きなだけアイスを食べてもいいし、ゲームをたくさん買ってもいい。だが大人は自由だろうか。

私が思うに、私を含め「自由」ではないと感じている人が多いのではないかと思う。それはなぜだろうか。

それは「思う」ことが少ないからだろう。平日は朝から夜まで働いて家に帰ったら少しYoutubeをみて寝る。休日は平日の疲れをとるために家でごろごろする。そんな暮らしをしていると、「思い」という部分が欠けてくる。子供心を持つのは大切だというが、日々心をすり減らして働いているとそんな余裕もなくなってくる。ただ漫然と日々を過ごすだけになってしまう。それに金も無限にあるわけではない。老後の不安もある。そう考えてしまうと、仮に「思う」ことがあったとしても踏み切れなくなる。結果思いを押し殺すことになる。

肝心の仕事は大体において「思う」ようにはいかない。たくさんの人がかかわっているし、自分の決定だけで進められるものではない。自分だけがいいと思っていてもほかの人が納得してくれなければ物事は進まない。逆に自分が納得していなかったとしても上司がいいと思えばそれで進める。それが仕事だ。だから余計に心を押し殺す。

かくして私のような「不自由」な人間が誕生する。別に現状の仕事にそこまで不満があるわけではない。給料も暮らしていくぶんには問題ない。でもなにか閉塞感がある。このままでいいのかという思いを感じる。

私はこのままは嫌だ。こんな気持ちで一生を終えたくはない。

となると仕事との向き合い方を考えることになるだろう。上記の論理で言えば「仕事が大変だから自由になれない」ということになっている。となれば仕事をどうにかする必要があるだろう。

仕事を辞めるか。いや、それでは力を失ってしまう。貯金もほとんどない私は仕事を辞めてしまうと誰かに養ってもらうか生活保護をうけるしかない。まぁ生活保護という手段があるからいけるという手もあるが、それはまだとっておきたい。というか自分で何とかしたいという思いがまだある。

辞めないで自由をえるとなれば、必然、仕事を「自由」にこなす必要がある。それはどうやるのか。当然ながら人を自由自在に操ることなどできないから自分のやりたいことをやるというわけにはいかない。一人で仕事をすればいいのでは、といってもその仕事でお金を払うのは自分以外の人間であるから、仕事が独りよがりになっては意味がないし、受け入れてもらえても報酬がもらえるわけではない。つまり「人」も「成果物」も「金」も思い通りにはならない。果たしてそんななかで仕事を自由にこなすことは可能だろうか。

もし仕事で自由にできる部分があるとすれば、それはおそらく唯一「自分の意志」ということになるだろう。つまり、自分がどう仕事に取り組むのか、なにを思って仕事に取り組むのか。それだけが自分が「自由に」できることだ。

具体的に落とし込むのであれば、「嫌いな仕事を好きなことという必要はない。好きだと思える仕事を自分でみつけてそれをやろう」ということだろうか。ずいぶん標語っぽくなったが、まぁ確かになというところである。というわけで、まずは今の仕事で自分が好きだと思える部分があるかどうかから始めてみる。

 

結論

意志だけではなにも変わらない。だが、まず意志がなければ永遠にそのままだ。というわけできょうはやけに硬い文章を書いてしまったが、この辺で。

お疲れ様でした。

 

 

今日のひとこと

タイトル詐欺。