自分の感じたことだけ

いま、この場所で

ふぁくとふるねす

はじめに

たまに、

地球温暖化って本当にあるのかね?

実は騒がれているほど問題になっていないのでは?」

という気持ちがたまに起きたりする。

しかしWebサイトを開いてみれば、地球温暖化は進行しているし大きな問題であるというのが多く出てくる。

https://gooddo.jp/magazine/climate-change/global_warming/

https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/1028.html

https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/index.html

 

でも調べてみると「地球温暖化は実はない」という意見も存在している。

https://22nd-century.jp/environment-issues/global-warming-fake/

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58761

 

これは一体なんだろうか?

 

感覚と事実

一応私の立場を表明しておくと、「地球温暖化は明らかに進行しているし対策が必要」である。その上で、疑問としては「なぜこのような内容が真実味をもって唱えられるか」ということである。

一つの回答として、現実と感覚の乖離感というのがあるのではないかと思う。つまり「地球温暖化が進行している、やばい!」というアラートと、現実での実際に感じる危機度の乖離が大きく「騒いでいる割には何も起きないよねー」というように思ってしまう。そこに上記のような内容が入ってくるとそちらのほうが自分の感覚に合っているような気がする、そちらを信じたくなる。そういう流れがあるのではないだろうか。

これは結構根深い問題なような気がする。なぜならこれは感覚の問題であって、データでいくら「こうなんですよ」と説明したところで感覚での実感がないと「うーん、そんなもんかね」という感じになってしまう。納得感とでも言えばいいのか、そういうものがないのである。むしろある意味適当なことのほうが説得感がある、というか出せる。「地球温暖化とニュースは騒いでいますがね、実はそれは〇〇会社の陰謀でなんたらかんたら…」みたいな陰謀論的な話はその典型である。得てしてこういう話のほうが人はストーリーがあるため人は納得感を感じやすい。それにそちらのほうがセンセーショナルだし耳目を引く。

だが感覚なんて言うものは曖昧なものだ。私はVRで遊んだことはないが、もしVRカイジの鉄骨わたりをやらされたらきっと足がすくんで前に歩けないだろうと思う。周りからみるととても滑稽だろうが、当の本人は真剣そのものだ。

感覚はいつも正しい道に通じているとは限らない。むしろ騙そうとしている人のほうが感覚的には「正しく」見えてくることもある。だとすると何を信じたらいいのかというのはそう簡単ではない。

 

終わりに

まぁ「Factfullness」が流行ったりもしたし、意外と大丈夫なのかもしれないけど。事実を捉える、捉えようとするのはとても大事な姿勢だと思う。その姿勢はこの状況下でも大事にしていきたい。

 

P.S.

はやくカラオケにいきたいな。