「時代おくれ」と「岩田さん」と「クロノ・クロス」
何だこのタイトル
要素を盛り込みすぎじゃないだろうか、と思うのも無理はない。
しかしちょっと待って聞いてほしい、ではなく読んでほしい。
当初、私は「時代おくれ」という歌について、時代背景や歌詞の解説を踏まえて自分の感想を書こうと思っていたのだ(いい歌なので、まだ聞いたことがない方はぜひきいていただきたい)。
しかし、「時代おくれ」について調べていたら下記のような文章を見つけてしまった。
【時代おくれ/河島英五】男らしい信念が綴られた歌詞を紐解く♪「時代おくれの男になりたい」の意味とは? - 音楽メディアOTOKAKE(オトカケ)
全部書かれてるやん…
まずい、このままでは書くことがない。
自分の読みたいものがすでに書かれていたら文章にする必要はない、とはブログを始めるきっかけになった田中さんの文章である(はじめに - 自分の感じたことだけ)。
正直、上の紹介があれば、あとは「とても素敵な歌だと私も思いました。」で終わらせてもいいとも思ったが。
でも(ブログをせっかく始めたし、なんか悔しいので)なにか書きたい…!
というわけで、無理くりひねり出したのが今回の題材である。
…と自分で切り出したはいいものの、この3つが一体どういう関係があるのか、書いたこの時点でもわからない。でも何かある気がする。
まぁきっと書いていくうちにわかるだろう。多分。
「岩田さん」と「クロノ・クロス」
わからない方もいると思うので軽くそれぞれについて説明する。
「岩田さん」とは、私のダイビング仲間であり、毎年夏に一緒に沖縄までいく高校時代からの友人である。彼のほうが2つ年上で、すでに結婚し、今は2児のパパでもある。
最近は忙しいようであまり連絡が取れていないのが残念だ。
というのは嘘である。誰だそれは。そもそも私は沖縄に行ったことはない。
ここで言う「岩田さん」とは、糸井重里さんが書いた「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」という本のこと、ひいてはそこに書かれている「岩田聡」という人間の人物像のことである。
いわた さとる、1959年12月6日 - 2015年7月11日。日本のゲームクリエイター、プログラマ、経営者。 任天堂の元代表取締役社長である ーWikipedia
決して私の空想上の人物のことではない。
(いい本なので、まだ読んだことがない方はぜひ読んでいただきたい)
そして、「クロノ・クロス」とは、1999年11月18日に発売された、PlayStation用ロールプレイングゲームのことである。
これは本当である。
(いいゲームなので、まだプレイしたことがない方はぜひプレイしていただきたい。)
何を書こうとしているのか
露骨な宣伝はこれくらいにして、本題に入るとする。
なぜこの3つを取り上げたのか。
結論から言ってしまえば、「この3つに対して、なんとなく同じような感動を覚えたような気がするから」ということになる。文章にするとなんだか身も蓋もない。
はじめに書いたとおり、私は「時代おくれ」という歌について書こうと思っていた。
この歌が自分の琴線に触れたからそう思いたったわけだが、すでに読みたい内容が書かれていたので書くことがなくなった。
そこで、もう少し自分で考えてみたところ、「なにか、この感動は前にも経験したことがあったような気がするな」と思い、それが、題材に上げた「岩田さん」と「クロノ・クロス」だったのだ。
しかし、書いたあとに思ったが、これらに共通することなんてあるんだろうか。
わからない。仕事で疲れてしまったのかもしれない。たまたま目についたからいっただけなのかも。
しかし、自分の中に何か引っかかるものがある。それはなんだろうか。
ということで、悪あがきとしてもう少し、書くだけ書いてみようとおもう。
各論
「時代おくれ」、「岩田さん」と「クロノ・クロス」について自分の感想を書いてみる。
とはいえ、これらの感想・評価は検索すれば山のようにあるし概ね同じようなものであるので簡潔に。
軽くネタバレがあるので、まだ未読・未プレイの方は注意されたし。
・「時代おくれ」
私は「何だこのタイトル」で貼り付けたYouTube以外の河島さんの曲を聞いたことがないし、これを聞くまではほとんど存じ上げなかった。しかし、この曲を聞いて、素晴らしい歌手だと思うと同時に、曲についてとても歌手にあっているなと感じた。
YouTubeのコメント欄にもあるのだが、「革ジャンを着た、いかつい男が」「ピアノで美しい旋律を弾き語る」という、絶妙なミスマッチが河島さんの歌声も相まって、なんだか深い趣を出している。まだ聞いていない人はぜひきいていただきたい。
余談だが、あの玉置浩二さんが歌っているバージョンもある。ただ聞いてみたのだが、「なんだかしっくりこない」と思ってしまった。それ程に、河島英五さんとこの曲の相性というか、完成度が高いのだろう。
・「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」
任天堂の元社長であった岩田さんについて、本人が語っていた言葉と、親交があった糸井重里さんと宮本茂さんが岩田さんについて語った言葉を書いた本である。
ここで書かれている文章から伝わってくるのは、とにかく「岩田さん」がいい人である、ということだ。
なんだか、この「いい人」という言葉は、私の性格が悪いからなのか「(都合の)いい人」とか「(他に取り柄はないけど性格は)いい人」みたいな別の含みをもっているように見えてしまいあまり使いたくないところではあるが、そういうのを抜きにして、岩田さんという人は「いい人」だったのだなぁ、お会いしてみたかったなぁと感じる。
岩田さん自身が本当に何を考えていたのかについては、会ったこともない私には知るよしもなく、何を書こうともすべて憶測になってしまうが、きっと、自分がどうこうというよりは、人を喜ばせることをやろうと、実現しようとして、またそれを、きっと心から楽しんでいた人なのだろう。糸井さんの「みんながハッピーであることを実現したい人なんですよ。」という文章や、「岩田さんのことばのかけら」というコラム内の文章にそれはよく表れているように思う。
自分がぜんぜん違う環境にいたら、
もっと趣味に生きていると思います。
わたしは、もともとは、放っておいたら、
おもしろそうなことをやって
ときどきまわりの人にそれを見せて、
よろこばれたらしあわせという人です。
・「クロノ・クロス」
かの有名な「クロノ・トリガー」の続編として発売されたRPG。
話としては、主人公の青年が、ふとしたことから今自分が生きている世界と、自分が死んでしまった世界を行き来する力を得、それによって世界を変えることになるみたいなものである。ある意味シュタインズ・ゲートっぽい。
余談だが私はクロノ・クロスしかやったことがない。クロノ・トリガーはDSなどでリメイクされたりしているがクロノ・クロスは私の知る限り再販などはされていない。とても残念だ。ぜひリメイクしてほしい。
さて、このゲームについてだが、あえて一言でいえば「救われない」ということである。だいたいキャッチコピーが「殺された未来が、復讐に来る」である。お先真っ暗といった感じだ。せめて復習ぐらいにしておいてほしい。
登場人物についても、基本的に暗い過去を背負っていたり、片方の世界では明るく普通に生きているがもう片方の世界では…ということが往々にしてある。しかも明るく普通に生きている世界というのが主人公が本当は死んでいる世界だったりするわけだ。本当に救われない。
しかもその中で主人公は、自分の生きている世界のことだけやっていればいいのに、わざわざ自分が死んでしまっている世界にいって何故か面倒事に首を突っ込まなければならないのだ。ゲームなのでそうしないと話が展開しないのでしょうがないが、説明するとなにがなんだかである。
しかし、いや、だからこそなのだろうか、個人的にこのゲームはとても面白かったのだ。昔のことなので細かいところまで覚えてはいないが、攻略本を買ってすべての仲間を同時に集めるところまでやるぐらいにはこのゲームにハマっていた。
グラフィックや音楽がよかったというのもあるだろうが(サウンドトラックはAmazonで買えるし、YouTubeやSpotifyでも聞けるので、本当にぜひ聞いていただきたい。)、ストーリー自体も印象深く面白かったのだ。それぞれのキャラクターの抱えている悲しみや成長というものが、2つの違う世界からの視点を通して見える分、より一層際立って見えたのかもしれない。トゥルーエンドはかなりたどり着く条件が謎で自力で行くのはかなり厳しいと思うが、それだけ見る価値はあるものだった。
で、何なのか
と、それぞれについて書いてはみたが、結論らしきものはまだ導き出せていない。無理に結論づけようとするとどうにも教訓くさくなってしまう。結論を急ぎすぎるのはよくない。とはいえ、一応文章の体裁ということで結は必要だ。結局の所、3つに共通するものは一体なんだろうか。
「時代おくれ」は、時代に流されず実直に生きる、ある種の男の理想像を歌っていた。
「岩田さん」は、人をハッピーにすることを実現しようとしていた。
「クロノ・クロス」は、運命に翻弄され、その中で生きる人々を描写していた。
どれも素晴らしいもの・作品であることについて個人的には異論はない。反論は認める。
これらの何を素晴らしいと私が感じているのか。それが問題だ。
思うに、これらに通底しているのは、不器用ともいえる「まっすぐさ」じゃあないだろうか。
「時代おくれ」は歌詞にもあるとおり、「不器用だけれど、しらけずに、純粋だけど、野暮じゃなく 人のこころを見つめ続ける」男になりたいと歌う。「岩田さん」は「ほかの人がよろこんでくれるのがうれしくて仕事をしている。」と糸井さんに語り、「クロノ・クロス」は「殺された未来が、復習に来る」という。
どれも、小賢しく自分の利益になることをやるという発想ではなく、実直に、ある意味不器用に、「本当に大事なことはなんだ」と私に問いかけているように思う。
最後だけおかしいように見えるが、きっと気のせいだろう。
もしかしたら、いまこれを書こうと思ったのも、YouTubeとかで「すぐに儲ける」とか「~~の極意」とかを見て、やったつもりになって時間を過ごしている自分への警鐘なのかもしれない。
ということで、これからは、YouTubeとかで安易に正解を探しに行くのはやめ、自分にとって、という狭い視野だけでなく、「本当に大事なことはなんなんだ」と問いかけながら生きていくことにしよう。 あ~腹減った。
終
~~その後~~
私「よし、買ってきた飯たべるか」
↓
YouTubeを起動
↓
私「お、鴨Tubeの新しい動画上がってる!見よ。」
クロノ・クロス「解せぬ」
完