自分の感じたことだけ

いま、この場所で

今が大事ってどういう意味なんだろうかと考えてみる。

はじめに

「今が大事」というけれど、今は未来からも過去からも規定されるよね、と言う話。

 

「好き」と「有意義」

未来は関係ない。過去も関係ない。今どうしたいかを考える。

というのはよく聞くが、今は過去・未来によって規定される面もあるのではないだろうか。

例えば想像してほしい。「バットの素振り500回」という行為を今行うとする。これはおそらく大体の人にとっては苦痛であるだろう。基本的に意味のない行為だからだ。しかし、あなたが「プロ野球選手を目指す」と考えてほしい。そうなると、この行為に意味を感じるのではないだろうか。こう考えると「素振り500回」が今やりたいことになる可能性があるように思えないだろうか。

他に「素振り=やりたいこと」になる可能性として、「素振りが好き」だという可能性もある。ではこの「好き」という感情はどうやって形成されるだろうか?これはおそらく、過去の経験から導き出されるものではないだろうか。「素振りが好き」というのは例としてあまり良くないかもしれないので、「野球が好き」という例にする。この場合、「野球が好きな人」はおおよそ過去の部活で成功体験を持っていることが多いというのは想像に難くない。まったく野球の腕が通用せず、それでも野球が好きという場合もなくはないだろうが、それにしたところでおそらく「野球をやっているときの緊張感」や「試合に勝った時の喜び」という過去の体験によって好きというのが形作られているだろう。そして、野球が好きという人であれば「素振りがしたい」と思うことも球にはあるだろう(私は違うのであくまで予想)。

結局何が言いたいかというと、「今何をしたいか」という問は「過去の自分の体験」と「これからの目的」、つまり過去と未来から影響を受けるということだ。それを踏まえた上で「今何をしたいのか」という問いには答える必要がある、と思う。

上のを踏まえた上で「今何をしたいのか」という問に答えるのであれば、「過去」からの要請も「未来」からの要請も叶えることというのが理想の回答であるだろう。過去からの要請は「好き」という感情、未来からの要請は「目標に向かって少しずつ近づいている感覚」=「有意義さ」とでも言えばよいだろうか。

ちなみに上記から、「好き」だけど「意味を感じられない」ことというのは矛盾しないということがわかる。例えばゲームは基本的に快の経験を与えるものだ。なのでゲームが「好き」という人は多いだろう。だが、ゲームは一部の人を除けば将来の目標には関わらないこと、つまり「有意義に感じられない」ということになる。

逆にいえば、「好き」なものを「有意義」に感じるためには、未来の目的にあった好きなことをやるか、好きなことを未来の目的にするかのどちらかとなる(他に条件があればもう少し組み合わせを増やせるが、今は思いつかない)。

一般的にみて、基本的には過去の経験から「好き」であったものを未来の目的にするという後者を取る人が多いように思われる。体育の授業で楽しかったからプロスポーツ選手になるとか、歌がうまいと言われたから歌手を目指すとかそういうたぐいのものだ。

この場合、例が悪い可能性があるが、成功する人は少ないだろう。プロスポーツ選手も歌手も、誰でもなれるものではない。好きな人は山のようにおり、その中の一握りの人がなれる。そしてそれで食べていけるのは更にその中でも一部の人間だ。

もちろん成功の定義にもよるが、食べていく金もないのを成功というのはなかなか厳しいだろう。それが楽しい間はまだいいかもしれないが、「気づけば無茶をすることもできない年齢になったが、まだ何も成し遂げていない」というのを想像すると空恐ろしくなる(とはいえ、日本なら生活保護も有るし、生きていく分にはそこまで大変でもないかも)。

その点を考えると前者の、未来の目的にあった好きなことをやるという方がこの資本主義社会の中では理にかなっていると言えるかもしれない。まず未来の目的、つまり自分がどうなっていたいかを明確にし、それになれそうなことを色々やってみる。その中で自分が好きだと思えるものに取り組んでいく。流れとしてはこうなるだろうか。

上記のように書くとなんだかコチラのほうがものすごい理想的に思えるが、言うは易く行うは難しである。

まず自分がどうなりたいかと言う未来を持つというのが難しい。自分の好きなこともはっきりしていないのに「将来どうなりたいかを明確にしなさい」と言われたところでまったくピンとくるものがないという場合がほとんどだろう。強いて言えばお金がある程度あったほうがいいかなぁという曖昧な目標を立てて、じゃあ稼げる&楽しそうなことをしようとYoutuberをやってみたりするけども全然うまく行かない…みたいなことは容易に想像がつく。

だから一般的にはあまり考えずにすむ「好きなことを仕事にしよう」という考え方に流れやすい。そういうことなんではないかなとふと思った。

もちろんどちらがいいとか悪いとかいう話ではない。各々が自分で選べば良い。前者であれば好きなことがないといって悲観するかもしれない、後者であれば好きなことをやっているのに将来が不安になるというのになるかもしれない。それはやってみなければわからないことだ。

 

結論

どのみち理想は「好き」で「有意義」なことをすることなのだから、それにどう向かうかの違いでしかない。まぁそれが難しいから仕事と趣味をわける「ワーク・ライフ・バランス」が流行ったのだろうが。

叶うのであれば「好きなことをやって有意義を感じられる」境地に至りたいと思う今日このごろ。というところで、今日はこのへんで。

 

お疲れさまでした。

 

 

今日のひとこと

マンチカンは今日も一人。(特に意味はない)