自分の感じたことだけ

いま、この場所で

モンスターハンターから学んだこと

始まり

最近、というかここ一月ほど、モンスターハンターワールドというゲームをしている。きっかけは大したことではなく、一時期無料でこのゲームができる期間があったのでやってみたことが始まりである。

ちなみにモンスターハンターというのは、やったことのない方に簡単に説明するとゴジラみたいなデカいモンスターをみんなで協力して倒そうというゲームだ。モンスターを倒すとその報酬としてそのモンスターの素材(爪とか牙とか)と金が手に入るので、それで強い鎧とか武器を作ってより強いモンスターを倒していくという具合に進んでいく。

 

 

 

気づき

このモンスターハンターをやっていて、ふと気づいたことがある。それは現実での自分の性格、具体的に言えばお金の使い方がこのゲームにもろに現れるなということだ。

先程モンスターの素材を集めて装備が作れるという話をしたが、当然のごとくモンスターはそう簡単に倒せない。少なくとも一体を倒すのに20~30分はかかる。もっと強いやつであれば1時間ぐらいかかるのもいる。そして装備に使う素材の量はモンスター一匹では足りない。大体一つの武器を作るのに3回ぐらいは同じモンスターを倒す必要がある(こういうゲームにはありがちだが、なかなか出ない貴重な素材もある)。こうなると何が起きるか。そう、装備を作るのに「躊躇い」がおきるのだ。

 

これは考えてみればおかしな話だ。なぜならその装備を作るためにそのモンスターを倒したのである。それにそもそもモンスターの素材はとっておいてもなにかの役に立つことはない。素材は使わなければ完全に無用の長物なのだから。

なのに、なぜかいざ使う段になると迷いが生じる。もったいないような気がしてくる。「この後もっといい装備にするのにここで使う意味があるのか」「まだ他にもっといい装備にこの素材が使えるんじゃないか」。大体頭に浮かんでくるのはこういう言葉である。なんとなくこれらの言葉には説得力がアルような気がする。

それに集めた素材の量を眺めていると「俺もこんなに頑張ったんだな」という感慨にひたれる。こんなにディアブロスを倒したんだな、おれ、という気持ちになる(話がソレルが、上質なねじれた角がほしいのに報酬画面でねじれた角が出たときはえも言われぬ気持ちになる。)。

 

だが先程も言ったとおり、素材は使ってこそ意味がある。装備をつくる鍛冶屋のNPCにも言われる。「おいおい、素材を溜め込んでどうするんだ。使ってこそ意味があるんだぜ。」と。

 

ここで私ははたと気づいた。これはお金と全く同じじゃないかと。

私はお金のために働いている。そのために多少なり辛いこともやる。そしてその報酬としてお金をもらう。

そしてそのお金をどうするか。

使わない。大事にとっておくのである。

投資に回してより金を増やすという選択肢もあるのだろうが、それすらしない。

なぜか。失うのが怖いからだ。

せっかくあんなに苦労して手に入れたのに、どうなるかわからないことや、意味のないように見えることに使ってしまって本当にいいのかとためらうのである。

そもそも人は利益を得ることよりも損失する方を忌避するようになっているらしい。心理学で聞いたことがある。これは苦労して手に入れたものをやすやすと手放すような人類が淘汰され、自分の大事なものを守るような人類が生存した結果であろう。

しかし、現代は金を失っても餓死するようなことはない。だからといってさっさと有り金を使ってしまおうというのもすこし極端だとは思う。要はバランスなのだが、つい守る方に意識がいってしまうことが多いというのが今回の気付き。

 

結論

迷ったときは、鍛冶屋の言葉を思い出したい。

 

「おいおい、素材を溜め込んでどうするんだ。使ってこそ意味があるんだぜ。」

 

 

 

 

雑記

何がいいたいかというと、モンハンは面白いということです。

アイスボーンを買うか迷っている今日このごろ。セールでやすくならんかな。